里見香奈

最強女流棋士 今年史上初の女流6冠を達成した里見加奈女流6冠は、史上最強の女流棋士です。しかし彼女の凄さはこの女流での活躍だけでは語れません。過酷な女流としての対戦をこなしながら、同時に大きな夢に挑戦したのが彼女です。その夢とは男女の区別のない「プロ棋士」を目指すことでした。 過酷な二足の草鞋 2011年編入試験を受け奨励会員となった里見女流6冠は、2012年には奨励会初段へと昇段。現行規定では初の女性昇段でした。そして2013年には奨励会二、三段と昇段し、遂にプロ棋士を賭けた戦いの場に挑むことになりました。しかし二足の草鞋ははやり過酷だったのか、三段リーグ開幕前に体調不良を起こし長期欠席。復帰後は女性初の三段リーグ勝利も上げますが、年齢制限により無念の奨励会大会が決まってしまいました。

佐藤康光

永世棋聖 現役で5人、歴史上でも8人しかいない永世タイトル保持者である佐藤康光九段。プロ入り当初からその実力は際立っていて、負けはしましたがプロ入り僅か3年でタイトル戦に登場。そして初タイトルの竜王位を、羽生善治当時5冠から取得するなど常に将棋界の中心で活躍しました。そして2002年に獲得した棋聖のタイトルを連続5期保持し、永世棋聖の資格を得ることになりました。 日本将棋連盟会長として 2011年からは棋士会長。そして2017年谷川浩司前会長辞任を受けて、戦後16人目の日本将棋連盟会長に就任します。2006年、当時の米長会長からAI将棋との対局を「遊び」として依頼された折に、「プロ棋士は遊びで将棋を指さない」と断固断ったという将棋に対する真摯な姿勢で、今後も将棋界を会長として牽引していくことでしょう。

森内俊之

ライバル羽生善治 同学年。奨励会入りも同時。しかし森内俊之九段にとって、羽生九段はいつも先を行く存在でした。もちろん森内九段が弱かったわけではありません。実際彼が全棋士参加の公式戦、第7回全日本プロトーナメントに優勝した時の年齢は若干18歳5ヶ月で、それは新人棋戦を除く全公式戦において史上4番目の若さでの勝利でした。 ライバルより先に永世名人へ 森内九段が初めてタイトルに挑戦した時の相手はライバル羽生九段。二人とも25歳の若さでしたが、羽生九段は既に7冠王でした。その対局では大きな実力の差を感じながら敗北しますが、しかし彼の飛躍はそこからでした。31歳で初タイトルとなる名人位を獲得。この名人位は2007年に通算5期目を獲得し、ライバル羽生九段に先駆け永世名人の資格を得ることになりました。

村山聖

早熟の奇才 映画や漫画など多くのメディアで取り上げられたのでご存じの方も多いと思いますが、1998年に29歳の若さで亡くなった村山聖は、まさしく早熟の奇才でした。持病のネフローゼ症候群のため満足に小学校にも通えない状態の中で、奨励会入会からプロ入りまで僅か2年11ヶ月。これは谷川九段や羽生九段をも超えるスピードです。 癌との闘い 病気と闘いながらもキャリアを積み、タイトル戦にも登場。A級にも一度は昇級しますが、しかし1997年に膀胱癌に冒されていることが判明します。手術はいったん成功したものの、翌年に転移が見つかり1年間の療養を発表。完治してからの完全復帰を目指す道を選択しますが、しかし同年8月に帰らぬ人となりました。羽生九段との通算成績は6勝7敗。天才相手にも全く引けは取りませんでした。

谷川浩司

天才の登場 その後に羽生九段が放った余りに眩い光に隠れてしまいましたが、谷川浩司九段の登場は当時の将棋界に大きな衝撃を与えました。まさしく天才の登場でした。史上2人目の中学生棋士としてプロデビュー。わずか21歳で彼自身の初タイトルを、史上最年少名人位として獲得したのです。名人位は最速でも獲得する5年前から順位戦に参加しなければならず、21歳で名人位に就くには15歳までに三段リーグを抜ける必要があります。これがどれ程凄いことかは将棋をご存じの方ならご理解頂けるでしょう。 羽生という新しい波 順調にタイトルを獲得し、1992年には史上4人目の4冠も達成した谷川九段ですが、その内3つのタイトルを8歳年下の羽生九段に奪われてしまいます。そして羽生九段は七冠棋士となり、羽生時代を築きました。

藤井猛

将棋界に革命を起こした男 現在でこそ藤井と言えば「聡太」と言われますが、しかし長い間藤井猛九段こそ将棋界の藤井の代名詞でした。なぜなら、彼は将棋界に革命を起こしたのですから。そうです、あの「藤井システム」によってです。 圧勝で竜王位を獲得 藤井九段が藤井システムを開発した頃、将棋界を居飛車穴熊という戦法が席巻していました。トップ棋士が居飛車穴熊を指した時の勝率は7割以上にも及び、羽生九段に至っては9割を超えていました。つまり藤井システムは、居飛車党に対する振り飛車党からの強烈な一撃だったのです。相手が穴熊に組む前に総攻撃をかけるその戦法は当初はただの奇襲と見られていました。しかし藤井九段が竜王位を圧勝で勝ち取ることで、そのシステムの実力を天下に知らしめたのです。

羽生善治

史上最強の棋士 「史上最強の棋士」論争で恐らく真っ先に挙がるであろう名前が羽生善治九段です。現在こそタイトルを失っていますが、今年6月には公式戦通算最多の1434勝を記録。故大山康晴十五世名人が69歳で達成した記録を弱冠48歳で塗り替えたのです。このままいけば空前絶後の生涯2000勝も夢ではありません。 平成に将棋ブームを巻き起こす 史上3人目の中学生棋士としてデビューした羽生九段は、平成元年19歳で初タイトルを獲得。8年には史上初の全7冠独占という圧倒時な強さを見せ、平成の時代に将棋ブームを巻き起こしました。30年には27年ぶりに無冠となりましたが、同年国民栄誉賞も受賞し今後の巻き返しが期待されています。故大山十五世名人のように、50、60代になってもきっと多くの勝ち星を積み上げていくことでしょう。

豊島将之

史上初平成生まれのプロ棋士 藤井七段以前の若き天才棋士と言えば、豊島将之名人です。三段昇段、公式戦出場記録は共に藤井七段に抜かれるまでの最年少記録。 史上初の平成生まれプロ棋士として、将来を期待されました。 そして名人位へ プロ入り当初は勢いそのまま破竹の快進撃を続けます。そして2009年には定員7名の狭き門である王将リーグ入りを果たします。十代でのリーグ入りは史上3人目で、あの羽生九段でも成し得なかった記録です。豊島名人のタイトル獲得は直ぐそこだと思われていました。 しかし豊島名人は勝てませんでした。2010年度の王将位挑戦以来3度あったタイトル挑戦全てに敗北を喫します。しかし遂に2018年棋聖戦で勝利。一度壁を破るとその後は実力を遺憾なく発揮。同年に王位、そして2019年には遂に名人位を獲得するのです。

渡辺明

現役最強棋士 現在最多のタイトル数を保持し、現役最強とも言われる渡辺明三冠。その背中を追う羽生九段同様彼も早熟の天才児で、羽生九段に続く中学生棋士として15歳でプロデビューしています。初めてのタイトル挑戦は19歳の時でこれは史上3番目の若さ。全盛期の羽生九段を1勝2敗の土俵際まで追い込みますが、結果は惜敗でした。 初代永世竜王 しかし翌年再びタイトル戦に渡辺三冠は姿を現します。将棋界の二大タイトルの一つ、竜王戦です。そしてその対極に見事勝利を上げ、史上3番目の若さでの竜王位獲得。自身初のタイトルを手にします。その後渡辺三冠は、竜王位を5連覇し初代永世竜王の資格を取得します。現在こそ失っていますが、渡辺三冠ほど竜王のタイトルが似合う棋士はいないのです。

永瀬拓矢

「ポスト羽生」を目指し 先日おこなわれた王座戦に勝利し、見事叡王に続くタイトルを達成した永瀬拓矢二冠。まだ27歳という若さでの2冠獲得でもあり、混迷の続く「ポスト羽生」の最有力候補に飛び出した、と言ってもいいかもしれません。元々現行三段リーグ制度導入以降では、当時4番目の年少記録でのプロ入りを果たした期待の才能が、ここに来て完全に開花した感があります。 その名を知らしめた「電王戦FINAL」 永瀬二冠の名を世に広く知らしめたのが、あの「将棋電王戦FINAL」でした。多くの棋士が屈辱に甘んじたこの一連の大会の中で、彼は角不成という将棋AIのバグをつく手を繰り出し、勝つことに拘った棋譜を残したのです。その気概が後の叡王、そして今回の王座獲得に繋がったといってもあながち間違いではないと思います。